Ваш покорный слуга кот
Книга для чтения на японском языке
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Тематика:
Китайский, корейский и японский языки
Издательство:
КАРО
Автор:
Нацумэ Сосэки
Год издания: 2024
Кол-во страниц: 512
Дополнительно
Вид издания:
Художественная литература
Уровень образования:
Дополнительное образование
ISBN: 978-5-9925-1522-0
Артикул: 777008.03.99
Нацумэ Сосэки является одним из столпов японской литературы. Перед вами его дебютное произведение, сатирический роман «Ваш покорный слуга кот». Повествование ведется от имени кота, живущего в доме учителя английского языка. Кот слушает истории гостей, которые приходят к учителю, подмечает слова и поступки своих хозяев, дает им оценку и, разумеется, считает себя созданием более совершенным, чем человек. В книге представлен неадаптированный текст на языке оригинала.
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УДК 811.521 ББК 81.2 Яп-93 Н35 Нацумэ Сосэки. Н35 Ваш покорный слуга кот : книга для чтения на японском языке / Сосэки Нацумэ. — Санкт-Петербург : КАРО, 2024. — 512 с. — (近現代文学). ISBN 978-5-9925-1522-0. Нацумэ Сосэки — один из основоположников современной японской литературы. Перед вами его дебютное произведение, сатирический роман «Ваш покорный слуга кот». Повествование ведется от имени кота, живущего в доме учителя английского языка. Кот слушает истории гостей, которые приходят к учителю, подмечает слова и поступки своих хозяев, дает им оценку и, разумеется, считает себя созданием более совершенным, чем человек. В книге представлен неадаптированный текст на языке оригинала. УДК 811.521 ББК 81.2 Яп-93 © КАРО, 2024 Все права защищены ISBN 978-5-9925-1522-0
一 吾輩は猫である 吾輩《わがはい》* は猫である。名前はまだ無い。 どこで生れたかとんと見当《けんとう》がつかぬ。何 でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だ けは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを 見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番 |獰悪《どうあく》な種族であったそうだ。この書生とい うのは時々我々を捕《つかま》えて煮《に》て食うという 話である。しかしその当時は何という考もなかったから別 段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌《てのひら》に載 せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じ があったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔 を見たのがいわゆる人間というものの見始《みはじめ》で あろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残ってい * Некоторые сложные для прочтения и устаревшие слова даны знаками азбуки хирагана в кавычках. 3
る。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるして まるで薬缶《やかん》だ。その後《ご》猫にもだいぶ逢 《あ》ったがこんな片輪《かたわ》には一度も出会《で く》わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起 している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙《け むり》を吹く。どうも咽《む》せぽくて実に弱った。これ が人間の飲む煙草《たばこ》というものである事はようや くこの頃知った。 この書生の掌の裏《うち》でしばらくはよい心持に坐 っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始め た。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗 《むやみ》に眼が廻る。胸が悪くなる。到底《とうてい》 助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が 出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら 考え出そうとしても分らない。 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった 兄弟が一|疋《ぴき》も見えぬ。肝心《かんじん》の母親 さえ姿を隠してしまった。その上|今《いま》までの所と は違って無暗《むやみ》に明るい。眼を明いていられぬく らいだ。はてな何でも容子《ようす》がおかしいと、のそ のそ這《は》い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁《わ ら》の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。 ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池が ある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて 見た。別にこれという分別《ふんべつ》も出ない。しばら くして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付い た。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そ のうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹 が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がな い、何でもよいから食物《くいもの》のある所まであるこ うと決心をしてそろりそろりと池を左《ひだ》りに廻り始 4
めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這 《は》って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出 た。ここへ這入《はい》ったら、どうにかなると思って竹 垣の崩《くず》れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。 縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったな ら、吾輩はついに路傍《ろぼう》に餓死《がし》したかも 知れんのである。一樹の蔭とはよく云《い》ったものだ。 この垣根の穴は今日《こんにち》に至るまで吾輩が隣家 《となり》の三毛を訪問する時の通路になっている。さて 邸《やしき》へは忍び込んだもののこれから先どうして善 《い》いか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒 さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予 《ゆうよ》が出来なくなった。仕方がないからとにかく明 るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考える とその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾 輩は彼《か》の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇 《そうぐう》したのである。第一に逢ったのがおさんであ る。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否や いきなり頸筋《くびすじ》をつかんで表へ抛《ほう》り出 した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天 に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても 我慢が出来ん。吾輩は再びおさんの隙《すき》を見て台所 へ這《は》い上《あが》った。すると間もなくまた投げ出 された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投 げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶して いる。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。 この間おさんの三馬《さんま》を偸《ぬす》んでこの返報 をしてやってから、やっと胸の痞《つかえ》が下りた。吾 輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家《うち》 の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩 をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿《やど》なしの小猫 5
がいくら出しても出しても御台所《おだいどころ》へ上 《あが》って来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛 を撚《ひね》りながら吾輩の顔をしばらく眺《なが》めて おったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥 へ這入《はい》ってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人 と見えた。下女は口惜《くや》しそうに吾輩を台所へ抛 《ほう》り出した。かくして吾輩はついにこの家《うち》 を自分の住家《すみか》と極《き》める事にしたのである。 吾輩の主人は滅多《めった》に吾輩と顔を合せる事が ない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這 入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な 勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見 せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家で はない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗《のぞ》いて見 るが、彼はよく昼寝《ひるね》をしている事がある。時々 読みかけてある本の上に涎《よだれ》をたらしている。彼 は胃弱で皮膚の色が淡黄色《たんこうしょく》を帯びて弾 力のない不活溌《ふかっぱつ》な徴候をあらわしている。 その癖に大飯を食う。大飯を食った後《あと》でタカジヤ スターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ 読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰 り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。 教師というものは実に楽《らく》なものだ。人間と生れた ら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫 にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師 ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度《たび》に 何とかかんとか不平を鳴らしている。 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものに ははなはだ不人望であった。どこへ行っても跳《は》ね付 けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されな かったかは、今日《こんにち》に至るまで名前さえつけて 6
くれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出来得る限 り吾輩を入れてくれた主人の傍《そば》にいる事をつとめ た。朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝《ひざ》の上に 乗る。彼が昼寝をするときは必ずその背中《せなか》に乗 る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構 い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ 経験の上、朝は飯櫃《めしびつ》の上、夜は炬燵《こた つ》の上、天気のよい昼は椽側《えんがわ》へ寝る事と した。しかし一番心持の好いのは夜《よ》に入《い》っ てここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる 事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二 人が一つ床へ入《はい》って一間《ひとま》へ寝る。吾輩 はいつでも彼等の中間に己《おの》れを容《い》るべき余 地を見出《みいだ》してどうにか、こうにか割り込むので あるが、運悪く小供の一人が眼を醒《さ》ますが最後大変 な事になる。小供は――ことに小さい方が質《たち》がわ るい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな 声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人は必 《かなら》ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。 現にせんだってなどは物指《ものさし》で尻ぺたをひどく 叩《たた》かれた。 吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼 等は我儘《わがまま》なものだと断言せざるを得ないよう になった。ことに吾輩が時々|同衾《どうきん》する小 供のごときに至っては言語同断《ごんごどうだん》であ る。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶ せたり、抛《ほう》り出したり、へっついの中へ押し込 んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしよう ものなら家内《かない》総がかりで追い廻して迫害を加 える。この間もちょっと畳で爪を磨《と》いだら細君が 非常に怒《おこ》ってそれから容易に座敷へ入《い》れ 7
ない。台所の板の間で他《ひと》が顫《ふる》えていても 一向《いっこう》平気なものである。吾輩の尊敬する筋向 《すじむこう》の白君などは逢《あ》う度毎《たびごと》 に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は 先日玉のような子猫を四疋|産《う》まれたのである。と ころがそこの家《うち》の書生が三日目にそいつを裏の池 へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を 流してその一部始終を話した上、どうしても我等|猫族 《ねこぞく》が親子の愛を完《まった》くして美しい家族 的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅《そうめつ》せ ねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。また 隣りの三毛《みけ》君などは人間が所有権という事を解し ていないといって大《おおい》に憤慨している。元来我々 同族間では目刺《めざし》の頭でも鰡《ぼら》の臍《へ そ》でも一番先に見付けたものがこれを食う権利がある ものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕 力に訴えて善《よ》いくらいのものだ。しかるに彼等人間 は毫《ごう》もこの観念がないと見えて我等が見付けた御 馳走は必ず彼等のために掠奪《りゃくだつ》せらるるので ある。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきも のを奪《うば》ってすましている。白君は軍人の家におり 三毛君は代言の主人を持っている。吾輩は教師の家に住ん でいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天で ある。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよ い。いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるま い。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。 我儘《わがまま》で思い出したからちょっと吾輩の家 の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この主人は 何といって人に勝《すぐ》れて出来る事もないが、何にで もよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書を したり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文を 8
かいたり、時によると弓に凝《こ》ったり、謡《うたい》 を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー 鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物にな っておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。 後架《こうか》の中で謡をうたって、近所で後架先生《こ うかせんせい》と渾名《あだな》をつけられているにも関 せず一向《いっこう》平気なもので、やはりこれは平《た いら》の宗盛《むねもり》にて候《そうろう》を繰返して いる。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。この 主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一 月ばかり後《のち》のある月の月給日に、大きな包みを提 《さ》げてあわただしく帰って来た。何を買って来たの かと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日か ら謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。果して翌日か ら当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵 ばかりかいている。しかしそのかき上げたものを見ると何 をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。当人もあまり甘 《うま》くないと思ったものか、ある日その友人で美学と かをやっている人が来た時に下《しも》のような話をして いるのを聞いた。 「どうも甘《うま》くかけないものだね。人のを見る と何でもないようだが自《みずか》ら筆をとって見ると今 更《いまさら》のようにむずかしく感ずる」これは主人の 述懐《じゅっかい》である。なるほど詐《いつわ》りのな い処だ。彼の友は金縁の眼鏡越《めがねごし》に主人の顔 を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室 内の想像ばかりで画《え》がかける訳のものではない。昔 《むか》し以太利《イタリー》の大家アンドレア・デル・ サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物 を写せ。天に星辰《せいしん》あり。地に露華《ろか》あ り。飛ぶに禽《とり》あり。走るに獣《けもの》あり。池 9
に金魚あり。枯木《こぼく》に寒鴉《かんあ》あり。自然 はこれ一幅の大活画《だいかつが》なりと。どうだ君も画 らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」 「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった 事があるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃも っともだ。実にその通りだ」と主人は無暗《むやみ》に感 心している。金縁の裏には嘲《あざ》けるような笑《わら い》が見えた。 その翌日吾輩は例のごとく椽側《えんがわ》に出て心 持善く昼寝《ひるね》をしていたら、主人が例になく書斎 から出て来て吾輩の後《うし》ろで何かしきりにやってい る。ふと眼が覚《さ》めて何をしているかと一分《いち ぶ》ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくア ンドレア・デル・サルトを極《き》め込んでいる。吾輩 はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。 彼は彼の友に揶揄《やゆ》せられたる結果としてまず手 初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十 分《じゅうぶん》寝た。欠伸《あくび》がしたくてたま らない。しかしせっかく主人が熱心に筆を執《と》って いるのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒《しん ぼう》しておった。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔の あたりを色彩《いろど》っている。吾輩は自白する。吾 輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並 といい顔の造作といいあえて他の猫に勝《まさ》るとは 決して思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今 吾輩の主人に描《えが》き出されつつあるような妙な姿と は、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩は波斯産 《ペルシャさん》の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆《う るし》のごとき斑入《ふい》りの皮膚を有している。これ だけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今 主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色で 10